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日本の文化は引き出す文化

江戸のあられは宮城のお米の理由  

当店は、東京の米菓メーカーとしては、最古の部類に入ります。が、歴史は100年に満たない、老舗としては駆け出しの方です。米菓、あられ・おかきは、 その発祥を知ると「家庭の味」だったのだと思います。

もしくは、米どころで作るものなのでしょう。家庭で作っていたものを事業にする、 という姿は、最近のものなのかもしれません。今でも、新潟県に米菓メーカーが 多いのはそのためでしょう。

しかし、江戸時代、幕府が認める江戸のお米「本石米」は宮城のものでした。 精華堂のある深川に流れる「仙台堀川」は、宮城米と江戸の深いつながりを 示すものです。

精華堂の初代清水六蔵が「やはり宮城米が美味い」と言い、二代目清水精二が 「宮城に工場を建て」たのは、当然の流れと言えます。

ゲンコツや堅焼きに代表される、江戸のあられ・おかきは、宮城のお米が あってこそ「江戸っ子の味」になったのです。

<歴史資料引用>
宮城(みやぎ)・仙台は古くから米の産地として知られています。 仙台の米は、江戸時代から「本石米(ほんごくまい)」といわれて、 100万都市・江戸の人々の食生活を支えてきました。
仙台藩(はん)では領主(りょうしゅ)・伊達政宗(だてまさむね)の頃から 藩で米を買い上げて、石巻港(いしのまきこう)を中心に荒浜(あらはま)、 塩釜(しおがま)などの積み出し港から、船で江戸・隅田川(すみだがわ) 東岸の深川(ふかがわ)まで米を運んでいました。深川のほとりに各藩の 米蔵(こめぐら)が立ち並び、仙台藩の米蔵はその中で最大規模(さいだいきぼ)を 誇(ほこ)るものでした。仙台の米は、江戸の米相場(こめそうば)を左右するほど 影響力(えいきようりょく)がありました。
明治維新後の一時期、米の移出・販売が低迷(ていめい)しましたが、 渋沢栄一(しぶさわえいいち)らの尽力(じんりょく)と第一国立銀行の石巻 (いしのまき)出張所開設(かいせつ)などにより回復(かいふく)しました。 そして、宮城・仙台は米どころとして現在に至(いた)り、東京の「仙台堀川 (ほりかわ)」は今も当時の名残りをとどめています。

引きだすのが日本の文化
当社は、自然栽培という、あのオノ・ヨーコさんも心酔する、奇跡のリンゴの 木村明則さんが取り組む米作りをすすめています。体に優しいだけでなく、 自然環境にもやさしい農法です。

一方、醤油・砂糖・油なども、農薬や化学肥料を使わない原料だけで作って いただき、食品添加物はもちろん使いません。

旨みを出すために、枕崎のカツオから作った鰹節や日高の昆布を煮出したダシを工場内で作っています。

お米の味を引き出すのに、お米の旨み・甘みを味わってもらうのに、醤油など 味付け素材に、こだわる必要はないように思われるかもしれませんが、 それが日本の食文化の不思議なところなのです。

私の知っている、お酒の蔵元が仰っていました。「本当に美味しいお酒は、 食べ物の本当の旨みを引き出し、お酒の味わいも深める」と。

そのお酒と一緒に味わうことで、魚が今までと違う「旨み」を出すのです。

次元は違いますが、ごはんには「これがあれば何杯でも食べられる」という 食べ物がありますよね。おしんこなのか、海苔なのか、、、お米の旨みも 味わいながら、おかずの美味さも引き出す。

お米の文化、日本の食文化は「引き出す」文化なのかもしれません。

お互いが主張するのではなく、一緒になることで「お互いを引き出す」、 「和をもって貴しとなす」文化は、日本人の心であるとともに、食文化にも通じるものでもあったのです。

「丸粒プレミアム米」は、美味しい醤油や砂糖と「和す」ことで、お互いの新たな魅力や旨み・味わいを引き出しあう役割も果たしています。

素材のこだわり、無添加のこだわりは、日本人の心と食文化に通じるものなのです。

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